「自分の住む街に誇りを持っていて、イキイキと楽しそうに暮らしていた」
この夏、フランスやイタリアの建築を見てきたばかりの学生が、うちの事務所へオープンデスクに来たとき、興奮が冷めやらない様子で話してくれたのがとても印象的でした。歴史のある街並みの中で暮らしているからだろうと話しをしました。
そんな時、ナガサキリンネの企画で出島の遺跡調査をしている学芸員の山口さんへのインタビューの話がきました。遺跡や発掘という言葉を聞くと冒険的でワクワクしますが、私たちの暮らしとはあまり関係のないもののように感じていました。山口さんは私たちがイメージする(勝手なイメージですが)発掘をする人とはかけ離れた、とても女性らしい容姿とやわらかな物腰でした。そして、丁寧に説明をしてくださり、私たちはその世界へとグイグイと引き込まれていきました。長崎の黎明期、鎖国の前のキリスト教時代にはいろんな国の人が街中に混在して住んでいたらしく、出てくるもがすごいという話しや、鎖国後の出島ではオランダ人の前にポルトガル人が住んでいて、下までは掘れないのでポルトガル人には会えていない話しなど、私たちは身を乗り出して聞き入ってしまいました。
出島の発掘は、後世に伝えていく役割があり、過去を見つつ、未来を見ています。私たちの生活とはかけ離れていると思っていたのに、建物が出来、見えてくることで長崎の人々の意識が変わってきている話しを聞くと、冒頭の学生が見たヨーロッパの人々の気持ちが少し解りかけたようでした。今という「点」で考えがちですが、過去を知り、未来にどう繋げるか。「過去から未来へのライン上に自分がいる」という、俯瞰的な視点に立つことで、誇りや責任が湧き上がってくるようです。
さあ、来週はいよいよ橋が開通します。橋を渡る時に、過去と未来に想いを馳せつつ佇みたいと、楽しみにしています。
ナガサキリンネプレスのインタビューの英訳は編集長の橋本さんが海外の方の為に、出島を解りやすく解説してくれています。インタビュー記事と併せて読んでください。きっとこれまでの出島の景色と見えかたが変わってくることと思います。
HAG 橋口佳代
-人とまちに愛される建築を- 建物は、そこで過ごす人々が、かけがえのない時間を紡ぐ場所。一人ひとりに寄り添い、心のよりどころとなる。わたしたちのつくる建物が、そんな存在であればと願う建築事務所を、一級建築士の夫と経営。ナガサキリンネでは、自分たちの建築を紹介するブースを出店する。
長崎港のすぐそばにある「出島」は、もともと長崎市内に雑居していたポルトガル人を収容・管理するために造った、人工の島である。日本とポルトガルとの貿易は1543年に始まり、当初は友好的で活発な交流を行っていたが、国内でキリスト教布教が進み、信者となった大名や民衆が力を持つようになると、状況は一変。当時の治世者たちはキリスト教を恐れるようになり、出島にポルトガル人を収容して、布教を阻止しようとしたのである。
その後、ポルトガル船の来航は完全に禁止され、日本は1639年から1854年まで鎖国政策を実施する。中国や朝鮮、また布教と貿易を切り離し、商取引に徹したオランダ以外の国々と交易を絶ったのだ。この鎖国期間中、日本で唯一、西洋の船が入港できた場所が長崎である。ポルトガル人がいなくなった出島には、代わってオランダ商館が置かれることに。以後、開国までの200年余り、出島は西欧に開かれた唯一の窓として、日本の近代化に重要な役割を果たしたのだ。ナガサキリンネプレス 「つながる出島 特別対談」英訳文より抜粋