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「自分の暮らしは自分でつくっていますか?」
僕は仕事柄、家にある道具は顔の見える物が多いです(ほとんどが物々交換ですが)。モノの向こうにつくり手の顔が見えるということは、なんとなく安心感をおぼえます。例えば「ここの部分のハマらんけん、少し削って」と頼んだり、また「この飯碗、縁の部分の欠けたけん直らんやろうか?」と頼まれたり。その飯碗は釉薬をのっけて、もう一度焼き直します。時間はいただきますが、そのくらいは無料で直します。
工業製品にくらべて、僕らの作るモノは高価です。その代わり小回りが効きます。使う人に会わせて、持ち手の長さや厚みを臨機応変に対応できます。もし、「子どもがご飯を最後まで食べないから、飯碗の見込み(内側の底の面)に好きな絵を書いて」と頼まれたら描きます。それがたとえ可愛いチョウチョを描いてとリクエストされても。ナガサキリンネに出展した「つくり手」のほとんどの人が(すべてかもしれません)そういう事のできる人たちです。だた、僕ら「つくり手」の暮らしは、なかなか楽ではありません。才能があるのに生活が苦しく、作陶を辞めざるをえない友人がいます。作れども作れども我が暮らし・・・という仲間が何人もいます。好きな事をやっているので、ある程度しょうがないのですが・・・。
モノづくりで生活が成り立つ土壌を創る
僕がナガサキリンネに求めるのは、僕らのような個人でモノを作る人が作ったモノを売って、生活が成り立つ土壌を創り出せたらいいということです。モノを作る人が元気なまちは魅力的です。そんなまちには、モノづくりを志す若い人たちが集まります。10年、20年先、長崎が魅力的でおもしろく、刺激的なまちになっていて、リンネがそのきっかけの1つになればと願っています。
第1回ナガサキリンネに関わっていた頂いた、全てのみなさまに感謝とお礼を申し上げます。そして無事に終える事ができたのは、ボランティアのみなさまのご尽力があってこそでした。本当にありがとうございました。第2回ナガサキリンネの打ち上げのビールのために僕は働きます。
2012.8.13 松尾 真哉
六音窯
http://rokunegama.main.jp/