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長崎という街、人々が温かく育ててくれた
道端に紫陽花が咲く季節となりました、雨と紫陽花の風景は長崎によく似合うのですが、家具屋泣かせの季節です。ナガサキリンネからはや3か月が経とうとしています。思い起こせばあんなに天気予報が気になったのは初めてです。どうにか晴天には恵まれましたが、想定をはるかに越える強風のなか、ご来場いただいた皆様、ほんとうにありがとうございました。またご協力、ご尽力賜りましたたくさんの方々にこの場をお借りして感謝致します。
自身のことについて少し。僕は多良見町山中でひっそりと家具を作っています。京都での六年近くの修行を経て、生まれた街、長崎に戻り14年が経ちます。独立したての20代の若者を長崎という街、人々は温かく育ててくれました。取り立てて抜きん出た才能がある訳でもありませんし、家具づくりの形態も現在のものづくりの速度からはゆっくりに見えるやり方かもしれません。
それでも、ひとりひとりの依頼主と会いご要望を聞き、自身の仕事のやり方、素材へのこだわりを伝え、それを形に変えて使っていただくという仕事を繰り返してきました。
「梅雨時季は家具屋泣かせ」と言うのは、僕が素材とする無垢の木というのは湿度、乾燥により膨張、収縮するので、雨が多い長崎のこの季節は、とても仕事がやりづらいのです。なのでその土地の気候をよく知る人間が、その地に暮らす人達に作るというのが本来のあたりまえのかたちなのではと思っています。
「顔がみえるもの」に恵まれている生活
長崎で暮らし、家具づくりを生業としてきたなかで気付いたことがいくつかあります。たとえば、身近にあり日々使っている「もの」のなかで、それがどの場所で誰によって作られ、何を素材としてどのように作られたものなのか、知っている「もの」は皆さんの周りにはありますか?僕自身も以前は「責任の所在」がはっきりとわかるもの「顔がみえるもの」に恵まれている生活ではありませんでした。でも、仕事を通して人間関係に恵まれ、この器は誰々が作ったものだよ、とか、靴の底が減ったから張替に出そう、とかそんな言葉があたりまえのように暮らしのなかで出てくるようになりました。
同じようにものをつくる「作り手」であっても、その「もの」が違えば知らないことも多く、なるほどと気付かされる「あたりまえ」もまた多く気付かされます。
ナガサキリンネが私たちの暮らしのなかにあたりまえにあること
ナガサキリンネは長崎に暮らす作り手たちの想いと、それを繋ぎ伝えていきたいと手を挙げた「つなぎ手」達から溢れた小さな流れです。作り手たちも様々、つなぎ手たちも。ひとりひとりの声はそれぞれにあると思いますが、その声のあつまりをひとつにすることで見えてくる確かなものを感じ取っていただけるのではないかと思っています。まずはこのナガサキリンネが私たちの暮らしのなかにあたりまえにあること、身近にあることをスタッフ一同、ひとつの目標にしています。またご来場いただいた皆さまからも、「長く続けてほしいイベントですね」との嬉しい言葉をたくさん掛けていただきました。
来年の開催に向けてまた少しずつ動きだしました。どうぞ温かいご支援と御協力をよろしくお願いします。
2012.06.30
ナガサキリンネ 実行委員長 早田 聡
SODA FACTORY
http://sodafactory.net/